故郷には2つある。
帰りたい故郷と帰りたくない故郷がある。
俺にとって帰りたくない故郷はなんといっても薬学時代だ。
医学部目指して2浪もしたのにしょうもない私立薬学部へ進学。
あの時の俺は根性無しで
3浪はしんどいし薬学いって仮面浪人するか卒業してから再受験しよう
などという甘ったれた現実逃避をしてた。
もしタイムマシンがあれば今からすぐに過去へもどって当時の俺をボコボコにしてやりたい。
おまえはバカか、医学部をナメるな!
と。
帰りたい故郷はいまの医大だろう。
まあまだ卒業してないし故郷でもないが(笑)
とにかくもっと充実した毎日を過ごそう!!
過去を振り返ってもしかたないからなあ。
現役時に私立も国立も全滅したもののなぜか自信に満ち溢れていました。
1年浪人すればどこでも合格できるだろう、と。
これは成績の悪い浪人生が持つ悪い考えです。
こう思っている浪人生でいい結果を残す人は僅かだと思います。
なぜなら、自己分析が出来ていないからです。
僕もそうでした。
本当に1年で合格する受験生は「このままではやばい。」と危機感を持っています。
2月に入試を終えた僕はしばらく気ままな生活を送り、予備校もテキトーにKに決めました。現役時代に数学と英語だけ通っていたからです。ちなみに現役時代は途中から全く行かなくなりました。なぜなら行っても授業が理解できなかったからです(笑)
Kに入る時に2つある医学部コースのうち上の方に入りたかったんですが、いかんせん現役時代の模試が悪すぎたためにそのままでは上のコースに入れませんでした。
プライドだけはエベレスト並に高かった僕はその事が許せません。
「俺は1年も勉強したらどこでも受かるはずだ。」
と真剣に思ってたので…。
そこで僕はそのコースに入るためのテストを受ける事にしました。模試の結果が到達できなくても、テストを受けて合格すればいいと思ったからです。
そして受けたところなんと合格しました!現役時代にKの記述模試で偏差値55しかなくてもです。多分K側からしたら金づるにしたかったのかもしれません(笑)
舞い上がった僕はすぐさま母に電話で伝えたところ、母も喜んでました。
4月になるといきなり振り分けテストがありました。このコースでは英語・数学・理科で学力別に2つにクラスが分けられます。そのクラス分けがこのテストで行われるのですが、見事に全科目とも下のクラスでした。当然と言えば当然ですし、この時点で危機感を持つべきなんですが、そんなことはお構いなしに「大丈夫大丈夫!1年頑張れば合格するしいまはカンケーない!!」と思ってました。
クラス分けが終わり授業が始まりました。
僕はとある中堅私立中高一貫校に中学受験で入りました。そこは東大・京大・医学部合格などほとんどおらず、よくて多浪生か再受験生が地方国公立か私立医大に合格するくらいでした。偏差値55くらいの大学に合格するとむちゃくちゃほめられる学校でした。現役で京大にいくのなんて2、3人しかいませんでした。
そんな中堅校に入学し、毎日勉強せずにゲームばかりする生活が中学2年の終わりまで続きました。ちなみに成績は100人中80番台でした。
中学3年になると周りの友人達が家庭教師や塾に通うようになったので、僕もそうする事にしました。その甲斐あって(?)、成績は60番に上がりました(笑)まあさして変わらなかったという事です。
小学生時代から算数が苦手で算数がとりわけひどかった事もあり、中学でも最悪でした。ですので中学時代は「将来は文系に行こう。弁護士が儲かるらしいから弁護士になろう。」などというバカな考えを持っていました(笑)
そして高校に上がり相変わらず成績は60~80番くらいと低空飛行。僕の高校は英語と数学の成績で1類・2類・3類とクラス分けがされるのですが、英語が1類で数学が2類でした。といっても3類が本当に勉強ができない集まりの下位10人でしたので、普通にしてれば2類止まりなわけです(笑)
そして理系か文系に分かれる高1の終わり。なぜか僕は急に「やっぱり医者になろう。長男だし親父も祖父も医者だしな。」と思い付きました。これはいまでもハッキリと覚えています。なぜか急に医者になりたくなったのです。
そして猛勉強を…となればいいのですが相変わらずゲームの日々。普通の医学部受験生ならば高2の段階で英語か数学のどちらかがかなり進んでいるはずですが、僕は高2の簡単な模試でさえ偏差値50台の有様。にもかかわらず大して危機感を持つ事もなく高3になりました。
高3にあがる際の春休みには自分なりにけっこう勉強したつもりでした。しかし、実体は単なる解答暗記…。そう、高2まで基礎もなにも勉強してなかったので解説を読んでも理解できなかったのです。特に数学が顕著でした。チャート式を読んでも何が何やらサッパリ…。揚句の果てに解答暗記に走り「よし!今日もよく勉強した!数学は暗記って和田秀樹先生もいってたしな!」となってました…。
そんな姿勢で成績が伸びるハズもなく、河合の記述模試はオールE判定。それも地方も新設私立医大も軒並みでした。
しかし「大丈夫!!現役は最後に逆転や!」とイタイ考えのもと「理解せずに解答の暗記作業」を毎日してました。それも深夜2時くらいまでです。机に向かってる時間だけは一級品でした(笑)
そして迎えたセンター試験。結果は72パーセントとゴミみたいな成績でした。まあ当然といえば当然なんですが、当時根拠もなく「センターは85パー取れる!」と思いこんでいた僕にとってはかなりショックでした(笑)
そして新設私立医大を1つ受けるも全くできずに撃沈。さらにプライドの高さだけは富士山よりも高かった僕は、72パーなのに意地で地方国立医大に出願しました…。当然全くできずに浪人生へとなりました。
受験時代について何回かに分けて書いていこうと思います。こんなやつでも医学部に合格できるんだ、と思って頂けると嬉しいです。
人生なんて思い通りにいかなくて当たり前です。
僕は中学受験で当時偏差値50しかない奈良県にある私立中学に進学しました。いまはまあまあの進学校になってるそうですが、僕の時は全然でした。
小学校の時は中学受験用の塾に通っていて、そこでのクラスも真ん中でした。当時から凡人だったのです。
僕の当時の感覚では、塾には通っていたものの自主的に勉強する事は一切なく、出された宿題も提出した記憶がありません。
つまり両親と塾の授業を聞いていただけという有様。
そんな感じでしたが偏差値50の中学には合格し、当時は嬉しかった記憶があります。まあ東大・京大・医学部にはほとんど合格しないしょうもないとこですが。
中学2年くらいまでは確か100人中80番台でした。はい、アホです。
しかし高校になると少し勉強し始めました。とは言うものの60番台。この成績で医学部を狙っていたんです(笑)
こんな感じですから現役時代のセンターは70パー止まり。ゴミカスですね。
そして1浪しても75パー。2浪しても75パー…。
高校時代に勉強しなさすぎた&浪人しても闇雲に暗記しようとしてたので忘れまくる勉強法だったのでゴミそのものでした。
そして結局医学部には合格せずに適当に受けて合格した私立の薬科大学へ。
今の僕からみると「そんな勉強量じゃ医学部受かるわけないやろ。当然じゃ!」とどついてやりたいですが、当時の僕はプライドだけが高い馬鹿だったので聞く耳を持たないでしょう。
そんな感じで薬科大に行ったものの、プライドが許さないまま4年間が過ぎました。
とある部活に入ったものの、2年間で辞めてしまいましたし、友達も数人しか出来ず。
薬学には良い思い出なんてありません。
僕にとっては恥の4年間でした。
今でさえ恥かしく思うくらいですから、当時は本当にひどかったです。
よくストレートで卒業できました(笑)
まあ人生色々です。
最後に笑えれば良いのです。
全く関係ないですが明日から家族で北海道にいってきます!弟が部活で来れないのは残念ですが…。
僕は2浪もしたのに医学部に合格せず仕方なく薬学部に行きました。
嫌々の4年間だったのでほとんど思い出はありません。
部活は一応やってましたが途中で辞めてしまいました。
当時の僕は「医学部落ち」という妙なプライドがあり、周囲の学生を見下していた本当にイヤなヤツでした。
でも一応きちんと4年間で卒業して国試も1発で合格しました。
何回かに渡って過去を書いていきたいと思います。
なぜこんな気になったかというと、もしも仮面浪人や卒後再受験を狙っている方を勇気づけれたらと思ったからです。