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元医学部再受験生として

僕は研修医の際、母校ではなく他大学の関連病院を選んだ。アウェイな訳だ。この研修先はいわゆる人気病院であり、なぜかマッチングで受かってしまった。これが大間違いだった。
自分は再受験生であり年もくっていて(卒業時31歳)、仕事の覚えも悪いのに「優秀な若者たち」が集まる病院に来てしまったわけだ。同期は10人以上いたが、再受験生は僕だけ・・・。当然打ち解けれるはずもなく、仕事も楽しくなく、浮いたまま・・・。結局2年間何も学ばず初期研修を終えてしまった。
そんな僕でも母校の耳鼻科は寛容に受け入れてくれた。初期研修でなにも学んでないせいで、何もかもむちゃくちゃ・・・それでも上級医たちは根気よく教えてくれた。時にひどい言葉をあびせられたが、感謝している。自分で言うのもなんだが、正直言って再受験生は扱いにくい!年食ってるせいで物覚えが悪いし、指導医より年上なのでむこうも指導しづらいだろうし・・・それなのにいまも上級医たちは丁寧に教えてくれている。本当にありがたい。
このブログを読んでいる再受験生はいないと思うが、もし読んでいたらこう言いたい。
母校で研修すべき、だと。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

戦友

今日は予備校時代の友人2人と久しぶりに会って飲んだ。2人は医学部再受験時代の予備校の友人であり、それぞれ違う医大に通っている。

1人は純粋3浪、もう一人は立命館中退の5浪だ。そしておれは薬学出の7浪(笑)

俺たちは予備校で同じクラスでお互い毎日切磋琢磨していた仲だ。時には現実逃避で飲みに走ったりもした。みんな「医者になる」というひとつの目標に向かって走り抜けた戦友だ。

彼らとはこの先一生の付き合いになるだろう。

苦しい状況を耐え抜いた仲間というものは、人生においてかけがえのない友人になる可能性も秘めている。

俺が今まで経験した苦しいランキングは圧倒的に医学部受験がダントツ1位。ほんといつまで合格できないんだろう、と果てしない道に感じていた。

思い起こせば1度目の受験の際は自分に対して甘かったのだろう。ろくに予備校に行かずにひたすら独学で勉強してたのがその証拠。

合格した年はお互いに競い合える仲間に出会えた事が本当に大きかった。環境は大切。

これからも彼らを大切にしていこう。

いま新世界で1人酒

いま俺は新世界の串カツ屋で1人酒をしている。

最近勉強ばかりでストレスが溜まり、思わず1人でここに来てしまった。

あまり飲んでないのに酔い気味なので、普段は書かないような事を書きたいと思う。


いきなりでなんだが俺は自分の意思で医学部に来たのかどうか分からない。


祖父も父も医者でありその姿を見て育ったのが一因だし、両親が俺を医者にしたがったのも一因だ。


難病を治したいとか人の命を救いたいという気持ちもあるにはあるが、主な動機は親の期待に応えたいからだ。


両親には感謝もしているが、もっと俺に他の道の選択肢を見せて欲しかったとも思う。


まあもう4年生だし医者へのレールに乗ってしまったし仕方ないが。


さて俺はどんな医者になるのだろうか。

苦節16年

少し遅いと思うが先日行われた日本オープンで河井博大選手がプロ16年目でツアー初優勝を果たした。


俺はこういう話に滅法弱くテレビを見ていて胸が熱くなり泣きそうになった。


なぜなら俺自身医学部に合格するまでに何年もかかっているからだ。


俺の場合は現役で落ち、1浪で落ち、2浪でも落ち泣く泣く薬学部へ入学。


しかし4年間(まだ4年制だった)ずっと医学部への未練たらたらで過ごし、親にもう一度だけ医学部を受けたいと打ち明けると「1年間だけチャンスをやる。やるなら予備校に通え。その代わりダメだったら薬剤師として働け。」と了承を得て、メシ・風呂・睡眠・トイレの時以外は全て勉強に費やした結果なんとか合格できた。毎日最低13時間勉強していた。


合格した時は凄まじく嬉しかったと同時に「ああ、これでもう周囲に迷惑をかけないですむ。諦めないで本当に良かった。」と心の底から安堵したのを4年たった今でも鮮明に覚えている。


俺なんかと比べるのは失礼だが優勝インタビューでの河井選手も「何度もゴルフを辞めようと思ったけど辞めないで良かった。本当に周りには迷惑をかけてきた。」と言っていたがまさにこの心境。


将来医師になった時に辛いことはたくさんあるだろう。

それでもあの時の気持ちを思い出せばきっと乗り越えられるはずだ。

やっぱやめよう

医学部に入学するまでの事を書くと言ったけど、やっぱりやめます。

振り返ってもなんだか暗くなるだけなんで(笑)

過去より現在!いまが楽しいし、未来もいまのところ明るいはずなんで、前向きブログにします。
期待していた人。すいませんでしたm(_ _)m

僕が医学部に来た理由

僕は25歳で医学部に入学した。

現役時代に落ちまくり、1浪時代も落ちまくり、2浪時代も落ちまくり、私立薬学部に入学して、卒業して薬剤師になり、1年間勉強し直してからようやく本懐を遂げた。
高校を卒業してから実に7年間も遠回りをしたわけだ。

同級生たちはみんな社会人として立派に働いている。

それなのにまるで時間に逆らうかのような進路を選んでいる。

今日から何回かに分けてその理由を書いていきたい。

予備校時代の友人

昨日、医学部受験を共に勝ち抜いた戦友2人と久々に会いました。

1人は愛媛出身、1人は愛知出身です。ちなみに愛知の友人はゴルフ部でして、まだ始めて2年半と僕と同じなのに80台で回る猛者です。すでに父親の持っているメンバーコースの月例杯にも出ているし、うらやましい限りです(笑)僕もうまければ出れるのに!

まずは晩飯を食おう、という事で愛媛出身の友人の勧めで、北新地にある「一鶴」という鳥料理専門店に行きました。

ここは香川県丸亀に本店を置く店で、梅田には2年前に出来たばかりです。

なかでも骨付き鶏肉が売りでして、親の肉か子の肉かを選べます。こう書くと残酷ですが(笑)

最初に生中を頼み、乾杯をしたあとに料理がきました。

鶏肉サラダや天ぷらなどの後に、メインである「雛鳥」がやってきました。

これが店の売りなだけあって、とてもジューシーで口に運ぶ度に肉汁がしたたり落ち、まるで肉食獣になった気分になれました。

しかもけっこう食べたのに3人で8600円と手頃でした。

ちなみに愛知の友人は飛び抜けてリッチであり、カードで支払ってました(笑)

その後HEPに行き最上階のアトラクションを何件か回りましたが、かなり良かったです!

そして10時半くらいに解散。

また集まりたいもんだ。

影響

親父の友人の甥っ子が東北地方の私立歯学部に通っているんですが、なぜか昨日うちのクリニックに診察に来ました。



「学校は?」と親父が聞くと「医学部に行きたいから辞めました。いま代ゼミに通っています。」



親父がその事をその友人に聞くと「おまえんとこの長男が医学部受け直しと合格した事を言ったら勇気づけられてな。」との事。



僕自身は周りを勇気づけようなんて微塵も思ってません(笑)しかしこのように勇気づけられた人がいるのは嬉しいです!

勉強法~総論編~

今日から数回に渡り受験勉強について書いていきます。



今回は総論として全科目共通のポイントを述べたいと思います。



結論からいうと「決して焦らずにきっちり理解しながら記憶する」事と「教材の手を広げずにまずは1冊を完璧にする」です。



なんだそんな事かと思われるかもしれませんが,受験生の95%は出来てません。



まず「決して焦らずにきっちり理解しながら記憶する」について説明します。記憶にはおおざっぱに分けて単純記憶と手続き記憶の2つがあります。



単純記憶というのは,地名や電話番号のように闇雲に暗記するいわゆる「丸暗記」です。



一方で手続き記憶というのは,「AだからB。BだからC。よってこうなる。」といったしっかり手順を踏んだ倫理的な記憶の事です。



人間は中学生の脳までは単純記憶が優先するのですが,高校生になるとほぼ手続き記憶の脳になります。あなたの周りで名門高校に合格したものの急に落ちこぼれた方はいませんか?あれは高校でも単純記憶に頼った勉強をしている場合が多いです。僕の周りにもいました。



また手続き記憶というのは焦ったり心理的に不安定だとなかなかはかどりません。理解するにはメンタル面が非常に大事になってきます。ですから息抜きも必要です。あなたはイライラしている時に考え事がうまくいきますか?



次に「教材の手を広げずにまずは1冊を完璧にする」について説明します。

受験生は自分のキャパを過信しすぎるきらいがあります。1年間,いや,正確に言うと4~1月の9ヶ月でできる教材の量はたかが知れています。1年間で何冊もこなせてむちゃくちゃ成績がアップすると勘違いしている受験生の何と多いことか…。

各科目のコアとなる問題集1冊を完璧に理解暗記するには,想像以上に手間がかかります。

僕が完璧にやり込んだ問題集は6冊ぐらいです。トータルで2500問くらいでしょう。

理解して記憶しても次の日には7割くらい抜け落ちています。これはあの有名な「エビングハウスの忘却曲線」で実証済みです。

ですから次の日に前日の復習をしなければなりません。一般的に次の日,3日後,1週間後,1ヶ月後,3ヶ月後,半年後がいいと言われていますが,これだといちいち面倒だと僕は実感しました。

ですので自分なりの復習サイクルを模索しました。

僕は進学校出身でもないし凡人だと自覚しており,さらに再受験の時すでに20代半ばでしたので復習回数をこなす事を第一に考えました。

そこで思いついたのは,「次の日,3日後,1週間後に復習しても怪しい箇所をコピーして集め,毎日目を通す」事にしました。ちなみにこれは科目別に整理したりしませんでした。

これは効果抜群でした。模試前はこうして集めたコピーをまず完璧に復習し直し,それから他の部分を見直すようにしたところ,秋の河合記述模試で英語数学で偏差値68,化学74,生物81を記録し,第一志望の現在通っている医大はB判定(僕の医大はC判定で67・5~69・9です。)でしたが,スベリ止めの医大はオールA判定でした。

暗記しにくいところは何回も毎日見直すと嫌でも刷り込まれます。なので毎日見直しやすいようにコピーして持ち歩けば軽いですし見直す気がおきます。ちなみに第一志望の試験日に開始直前までコピーしたものを見直していたところ,生物でドンピシャの光合成サイクルのチャート図が出題されめっちゃテンション上がりました(笑)

以上が外してはいけないポイントです。

スローガンは「決して焦らずに,きっちり理解しながら記憶する」事と「教材の手を広げずにまずは1冊を完璧にする」です。

では次回から各科目別に触れていきます。

医学部定員増について。

いま世間では医師不足が叫ばれています。ちょうど30年ほど前に「一県一医大制」の名のもとに各県で新設ラッシュが起こり,医学部の数が2倍になりました。



苦労して医学部に合格した僕にとって,医学部定員増はかなりむかつきます(笑)



いまのままで医師の環境をよくすれば,足りるはずなのに…。



産婦人科などの医師を守る法律が出来たらかなり違うでしょう。



昨今では女医が3割を占めます。



現場の医師から聞いたのですが,女医は楽な科に行きますしすぐに結婚して辞めるそうです…。女医を取り巻く環境の整備も必要でしょう。



ちなみにうちの医大も10名増加しました。しかし条件がありまして,地域枠と特別科枠だそうです。



入学時に将来を縛られますが非常にいい案だと思います。



僕もはやく一人前の医師になりたいです!

祖父母。

ついさっき祖父母の仏壇に手を合わせてきました。



僕の祖父母は僕が医学部に合格する前に亡くなりました。



さっき手を合わせていると,なぜもっと早くに合格できなかったのか自分の不甲斐無さに腹がたちました。



僕が祖父母に伝えている事はいつも同じです。



「向こうで元気にしてる?ようやく3代目になれたよ。弟も東大に合格した。両親も安心している。これからも家族全員健康でいられるように守ってください。」

通学列車からblog。

いま朝の電車に乗っています。



ちょうど横に化学の参考書を開いている男子高校生がおり,去年の自分が思い浮かんで懐かしくなって心の中で「受験頑張れよ!」とエールを送りました。



去年,予備校に通う電車の中は恰好の自習室でした。



通学時間は15分とかなり短かったので,毎日英単語を暗記。



1800個覚えるのに2ヶ月かかりましたが,電車以外の場所で単語を勉強した事はありません。



英単語を机に向かってやるなど時間の無駄だと判断したからです。



机では数学,理科がメインでした。



そして夏ぐらいに英単語をほぼマスターし終わり,次に電車で何をしようかと悩んだ末に思い浮かんだのが,伸び悩んでいた生物の徹底的な復習でした。



復習する際には漠然とやるのではなく,何度も記憶を試みても忘れてしまうジャンルをメインにやり込みました。



その甲斐あって,秋の河合記述模試では生物の偏差値で80.3を記録しました。



この模試では地方国公立医学部がほぼA判定&いま通っている医大がB判定でして,かなり満足のいく結果をとりめちゃくちゃ嬉しかったです。



もう7月に入りましたね。



浪人生の皆さんに気をつけて欲しい事があります。



それは,「よし!夏で追い上げるためにも頑張るぞ!」と意気込むのではなく,計画の8割を達成できるように日々を淡々と過ごして下さい。



浪人生は意気込みがちです。しかし,肩に力が入ってはできる事もできません。



自分に足りないものは何かを冷静に判断し,それらをひとつずつ「焦らず・じっくり・確実に」仕上げていきましょう。作業にするのです。



そうすれば自ずと結果はついてきます。



コンスタントに頑張って下さいね!
プロフィール

さすらい

Author:さすらい
アラフォーゴルファー。現在クラブハンデ17。シングルを目指して試行錯誤を繰り返しております。

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