僕の欠点は道具や物を雑に扱うところです。
昨日メガネのフチが広がっていたので自力で無理矢理直そうとしたら割れてしまいました…。何でこんなことしたんだろう…。
親父の病院の近くのメガネ屋にもっていったら「修理不可能。買い替えるしかない。」と言われました。
一応スペアのメガネをかけていますが、壊れた方が好きなので今度フレームだけ変えにいきます…。
出費は厳しいですが、自腹を切る事によってもっと大切に扱うようにします。
今日は珍しく実習が無いので、空き時間を利用してかかりつけの眼科に定期検診に行ってきました☆
この眼科は親父の知り合いのクリニックであり、僕が再受験で頑張っていた2年前からお世話になっています。
最初に行ったのは6月頃だったでしょうか。
授業を受けている際に急に視界に黒い蚊のようなものが多数飛び始めたのです。
これはヤバイ、と思いすぐその眼科に行くと「格子状網膜変性」と診断されました。。。ちなみに黒い蚊が舞うのは飛蚊症というものであり、格子状網膜変性に伴いやすいそうです…。
格子状網膜変性とはどんな病気かというと、網膜の一部が柔らかくなっているのです。放っておくと網膜剥離になるそうです…。
幸いまだまだ軽かったのでレーザー手術をすれば治ると言われたのでしました。
これで網膜剥離の心配はほとんど無くなりました!
しかし未だに飛蚊症はあります。特に明るい場所にいくとかなり飛びまくります。。。
検診の度に先生から「まだ飛蚊症はありますか?」と聞かれますが、残念ながらまだまだ首を横にふることはできません。
そのうち無くなる事が多いそうなので、我慢強く生きていきます。
早く蚊が飛ばない視界が欲しいなあ…
買っちゃいました!
去年のモデルなんで原価8万円が4万9千円でゲットできました!!
買った瞬間にかなりやる気が出ました(笑)ワックスについてかなり興味が沸いた自分にビックリです(笑)
オンシーズンが楽しみです!速くなるために頑張れ俺!!
現役時に私立も国立も全滅したもののなぜか自信に満ち溢れていました。
1年浪人すればどこでも合格できるだろう、と。
これは成績の悪い浪人生が持つ悪い考えです。
こう思っている浪人生でいい結果を残す人は僅かだと思います。
なぜなら、自己分析が出来ていないからです。
僕もそうでした。
本当に1年で合格する受験生は「このままではやばい。」と危機感を持っています。
2月に入試を終えた僕はしばらく気ままな生活を送り、予備校もテキトーにKに決めました。現役時代に数学と英語だけ通っていたからです。ちなみに現役時代は途中から全く行かなくなりました。なぜなら行っても授業が理解できなかったからです(笑)
Kに入る時に2つある医学部コースのうち上の方に入りたかったんですが、いかんせん現役時代の模試が悪すぎたためにそのままでは上のコースに入れませんでした。
プライドだけはエベレスト並に高かった僕はその事が許せません。
「俺は1年も勉強したらどこでも受かるはずだ。」
と真剣に思ってたので…。
そこで僕はそのコースに入るためのテストを受ける事にしました。模試の結果が到達できなくても、テストを受けて合格すればいいと思ったからです。
そして受けたところなんと合格しました!現役時代にKの記述模試で偏差値55しかなくてもです。多分K側からしたら金づるにしたかったのかもしれません(笑)
舞い上がった僕はすぐさま母に電話で伝えたところ、母も喜んでました。
4月になるといきなり振り分けテストがありました。このコースでは英語・数学・理科で学力別に2つにクラスが分けられます。そのクラス分けがこのテストで行われるのですが、見事に全科目とも下のクラスでした。当然と言えば当然ですし、この時点で危機感を持つべきなんですが、そんなことはお構いなしに「大丈夫大丈夫!1年頑張れば合格するしいまはカンケーない!!」と思ってました。
クラス分けが終わり授業が始まりました。
僕はとある中堅私立中高一貫校に中学受験で入りました。そこは東大・京大・医学部合格などほとんどおらず、よくて多浪生か再受験生が地方国公立か私立医大に合格するくらいでした。偏差値55くらいの大学に合格するとむちゃくちゃほめられる学校でした。現役で京大にいくのなんて2、3人しかいませんでした。
そんな中堅校に入学し、毎日勉強せずにゲームばかりする生活が中学2年の終わりまで続きました。ちなみに成績は100人中80番台でした。
中学3年になると周りの友人達が家庭教師や塾に通うようになったので、僕もそうする事にしました。その甲斐あって(?)、成績は60番に上がりました(笑)まあさして変わらなかったという事です。
小学生時代から算数が苦手で算数がとりわけひどかった事もあり、中学でも最悪でした。ですので中学時代は「将来は文系に行こう。弁護士が儲かるらしいから弁護士になろう。」などというバカな考えを持っていました(笑)
そして高校に上がり相変わらず成績は60~80番くらいと低空飛行。僕の高校は英語と数学の成績で1類・2類・3類とクラス分けがされるのですが、英語が1類で数学が2類でした。といっても3類が本当に勉強ができない集まりの下位10人でしたので、普通にしてれば2類止まりなわけです(笑)
そして理系か文系に分かれる高1の終わり。なぜか僕は急に「やっぱり医者になろう。長男だし親父も祖父も医者だしな。」と思い付きました。これはいまでもハッキリと覚えています。なぜか急に医者になりたくなったのです。
そして猛勉強を…となればいいのですが相変わらずゲームの日々。普通の医学部受験生ならば高2の段階で英語か数学のどちらかがかなり進んでいるはずですが、僕は高2の簡単な模試でさえ偏差値50台の有様。にもかかわらず大して危機感を持つ事もなく高3になりました。
高3にあがる際の春休みには自分なりにけっこう勉強したつもりでした。しかし、実体は単なる解答暗記…。そう、高2まで基礎もなにも勉強してなかったので解説を読んでも理解できなかったのです。特に数学が顕著でした。チャート式を読んでも何が何やらサッパリ…。揚句の果てに解答暗記に走り「よし!今日もよく勉強した!数学は暗記って和田秀樹先生もいってたしな!」となってました…。
そんな姿勢で成績が伸びるハズもなく、河合の記述模試はオールE判定。それも地方も新設私立医大も軒並みでした。
しかし「大丈夫!!現役は最後に逆転や!」とイタイ考えのもと「理解せずに解答の暗記作業」を毎日してました。それも深夜2時くらいまでです。机に向かってる時間だけは一級品でした(笑)
そして迎えたセンター試験。結果は72パーセントとゴミみたいな成績でした。まあ当然といえば当然なんですが、当時根拠もなく「センターは85パー取れる!」と思いこんでいた僕にとってはかなりショックでした(笑)
そして新設私立医大を1つ受けるも全くできずに撃沈。さらにプライドの高さだけは富士山よりも高かった僕は、72パーなのに意地で地方国立医大に出願しました…。当然全くできずに浪人生へとなりました。