旅の終わりと始まり
昨日で3日間に渡る国家試験が終わった。
初日は大雪になり電車が遅れるかもしれないとのことで前日に父親から電車のチェックをしておけ、早めに試験会場を出ろ、とのアドバイスを受けたので早めに起床。
すると親父からメールと電話があったんだが洗面所で歯磨きやらしてたので返信できなかった。少しすると部屋の電話がなり出てみると親父から。電車はまだ動いてるし落ち着いて試験を受けてこいとのこと。俺は31歳になったんだが、まだ親に心配をかけている(笑)結局3日間に渡り父さんからは激励メールがきた。ありがとう。
会場へは最寄り駅から徒歩20分もかかるし案の定霰も降っていたので友人たちとタクシーを割り勘して会場へ。大阪で霰がふるとは!ここはタクシーで正解だったな。たった5.6分で到着。2,3日目も行きはタクシーにした。
会場に到着して自分の受験番号がある教室に向かうとまさかの一番乗り!タクシーは偉大だ。
試験開始前にテキストを開くもののまったく頭に入らないので見るのをやめ開始を待つことに。
そしていよいよスタート。記念すべき第一問目は「先天性風疹症候群」について。去年あれだけ世間で騒がされたトピックで開始させるとは厚生労働省もなかなか粋だなあ、と感心する。
しかしその後がめちゃめちゃむずかった・・・大丈夫、おれだけじゃないはず、と思いつつも死ぬほど難しくてほんと辛かった。
初日は全科目難化したし友人と「明日と明後日は簡単になるだろう」と話していたが3日目まで全て難しかった(笑)予備校の総評によると「過去最高難易度」とのこと。なにも俺のときにそんなことしなくても!
2、3日目は22時30分頃に就寝。初日とはうってかわってぐっすり寝れたが、ひたすら首が凝っていた。9時半〜17時までの長丁場であれだけ集中して試験を受けているからだろう。普段しないようなミスもたくさんした。これが本番。
全てが終わったあとの解放感は半端なかった。スキー部の友人と後輩と行きつけの店で飲んだ。
この店はほんとにうまい。ちなみに大将はマーくんに似ている。
一夜明けてもまだ実感がわかない。起床時に「もう勉強しなくていいのか」と虚無感みたいなものがわいてきた。自己採点でも合格してるだろう。
ここまでの道のりは本当に長かった。小さい頃から医師である父親と祖父の背中を見て育ち医者になろうと決めた。
しかし頭の良くない俺にとって医学部受験はマジで難しかった。
2浪したのに合格できず薬学部へ進学。医学部への未練たらたらだが仮面浪人する勇気もなくそのまま卒業。薬剤師免許は取得した。
しかし諦めの悪い俺は1年限定で医学部をもう一度受験することを両親に許してもらい死ぬ気で勉強してなんとか合格。その時の予備校で同じクラスになった友人とは今度卒業旅行へゆく。そこまでレベルは高くない医大だが俺にとっては充分なところ。25歳で医学科1年生になった。
入学してからはスキー部に入り素晴らしい部員たちに出会えた。特に同回生には恵まれて彼らとは一生の友人になるだろう。
5回生からは臨床実習が始まりかなりきつかった。国家試験を意識して勉強を開始したのは夏から。とにかく量が多くて何度やっても忘れる。
6回生になると研修病院先を選ぶんだがなんとか第一志望にマッチした。親父の元勤務先の病院で大阪では知らない人がいない大病院だ。
そして9月からは卒業試験が始まり本当にしんどかった。終わってからも記憶力の悪い俺は周りが息抜きの旅行に行っている間も勉強し続けた。馬鹿だから仕方ない。勉強するしかないんだ。
5回生夏から人より早く勉強を始めたのに何度やっても忘れ続ける自分の頭の悪さに嫌気が何度もさした。なんで覚えれないんだろうと。
医学部にくるやつらはエリートばかり。小学校から私立や国立に通っててそこから有名進学校へいき卒業してきたサラブレッドの集まりだ。
そんな奴らが必死に勉強するのが医師国家試験。そいつらは俺より少ない勉強時間でスポンジの如く知識を吸収していく。
そこに凡人の俺が飛び込んだんだから他のやつらより勉強しなきゃいけないのは当然。しんどかったけど仕方ない。俺は雑草公立小学校出身でさらに中学高校も普通の私立。医学部に合格するのなんて人学年に3.4人くらい。関関同立や早稲田慶応合格で大喜びする高校だった。阪大なんて受かろうものなら天地がひっくりかえる勢い。
そんな俺だけどなんとか医者になれそうだ。でもまだ実感はわかない。多分働き始めないとわからないんだろうな。
あとこのブログのタイトルも変更しなきゃ。何にしようかなあ。この先の記事はゴルフメインでいこう!
初日は大雪になり電車が遅れるかもしれないとのことで前日に父親から電車のチェックをしておけ、早めに試験会場を出ろ、とのアドバイスを受けたので早めに起床。
すると親父からメールと電話があったんだが洗面所で歯磨きやらしてたので返信できなかった。少しすると部屋の電話がなり出てみると親父から。電車はまだ動いてるし落ち着いて試験を受けてこいとのこと。俺は31歳になったんだが、まだ親に心配をかけている(笑)結局3日間に渡り父さんからは激励メールがきた。ありがとう。
会場へは最寄り駅から徒歩20分もかかるし案の定霰も降っていたので友人たちとタクシーを割り勘して会場へ。大阪で霰がふるとは!ここはタクシーで正解だったな。たった5.6分で到着。2,3日目も行きはタクシーにした。
会場に到着して自分の受験番号がある教室に向かうとまさかの一番乗り!タクシーは偉大だ。
試験開始前にテキストを開くもののまったく頭に入らないので見るのをやめ開始を待つことに。
そしていよいよスタート。記念すべき第一問目は「先天性風疹症候群」について。去年あれだけ世間で騒がされたトピックで開始させるとは厚生労働省もなかなか粋だなあ、と感心する。
しかしその後がめちゃめちゃむずかった・・・大丈夫、おれだけじゃないはず、と思いつつも死ぬほど難しくてほんと辛かった。
初日は全科目難化したし友人と「明日と明後日は簡単になるだろう」と話していたが3日目まで全て難しかった(笑)予備校の総評によると「過去最高難易度」とのこと。なにも俺のときにそんなことしなくても!
2、3日目は22時30分頃に就寝。初日とはうってかわってぐっすり寝れたが、ひたすら首が凝っていた。9時半〜17時までの長丁場であれだけ集中して試験を受けているからだろう。普段しないようなミスもたくさんした。これが本番。
全てが終わったあとの解放感は半端なかった。スキー部の友人と後輩と行きつけの店で飲んだ。
この店はほんとにうまい。ちなみに大将はマーくんに似ている。
一夜明けてもまだ実感がわかない。起床時に「もう勉強しなくていいのか」と虚無感みたいなものがわいてきた。自己採点でも合格してるだろう。
ここまでの道のりは本当に長かった。小さい頃から医師である父親と祖父の背中を見て育ち医者になろうと決めた。
しかし頭の良くない俺にとって医学部受験はマジで難しかった。
2浪したのに合格できず薬学部へ進学。医学部への未練たらたらだが仮面浪人する勇気もなくそのまま卒業。薬剤師免許は取得した。
しかし諦めの悪い俺は1年限定で医学部をもう一度受験することを両親に許してもらい死ぬ気で勉強してなんとか合格。その時の予備校で同じクラスになった友人とは今度卒業旅行へゆく。そこまでレベルは高くない医大だが俺にとっては充分なところ。25歳で医学科1年生になった。
入学してからはスキー部に入り素晴らしい部員たちに出会えた。特に同回生には恵まれて彼らとは一生の友人になるだろう。
5回生からは臨床実習が始まりかなりきつかった。国家試験を意識して勉強を開始したのは夏から。とにかく量が多くて何度やっても忘れる。
6回生になると研修病院先を選ぶんだがなんとか第一志望にマッチした。親父の元勤務先の病院で大阪では知らない人がいない大病院だ。
そして9月からは卒業試験が始まり本当にしんどかった。終わってからも記憶力の悪い俺は周りが息抜きの旅行に行っている間も勉強し続けた。馬鹿だから仕方ない。勉強するしかないんだ。
5回生夏から人より早く勉強を始めたのに何度やっても忘れ続ける自分の頭の悪さに嫌気が何度もさした。なんで覚えれないんだろうと。
医学部にくるやつらはエリートばかり。小学校から私立や国立に通っててそこから有名進学校へいき卒業してきたサラブレッドの集まりだ。
そんな奴らが必死に勉強するのが医師国家試験。そいつらは俺より少ない勉強時間でスポンジの如く知識を吸収していく。
そこに凡人の俺が飛び込んだんだから他のやつらより勉強しなきゃいけないのは当然。しんどかったけど仕方ない。俺は雑草公立小学校出身でさらに中学高校も普通の私立。医学部に合格するのなんて人学年に3.4人くらい。関関同立や早稲田慶応合格で大喜びする高校だった。阪大なんて受かろうものなら天地がひっくりかえる勢い。
そんな俺だけどなんとか医者になれそうだ。でもまだ実感はわかない。多分働き始めないとわからないんだろうな。
あとこのブログのタイトルも変更しなきゃ。何にしようかなあ。この先の記事はゴルフメインでいこう!